どうも。FPひろき(@fp_hiroki)です。
あなたは“ミニマリスト”って知ってますか?
日曜日の昼下がり。
ちょっと気になったインスタ画像を発見し、感じたことがありました。
今日は“ミニマリスト”なる方々の生き方についてのエッセイ的なブログ記事をアップします。
よろしければお付き合いください。
Contents
そもそも“ミニマリスト”とは何かを説明する。
そもそも“ミニマリスト”というワードは、若い人を中心に広がっているようです。
“ミニマリスト”...。
これ、一体何者なのでしょうか。
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ミニマリスト
物を持たずに暮らす人の意味では、2010年前後から海外で使われるようになり、その後日本でも広まったと見られる。何を持ち何を持たないかは人それぞれだが、少ない服を制服のように着回したり、一つの物を様々な用途に使ったりするほか、誰かと共有したり借りたりすることで、自分が所有する物を厳選している点が共通している。
少ない物で豊かに暮らすという考え方自体は、環境問題の深刻化などを背景に以前からあった。近年は、物だけでなく多くの情報が流通する中で、たくさんの物を手に入れても満たされなかったり、多くの物に埋もれて必要な物が見えなくなったりして生きづらさを感じる人たちが増え、自分にとって本当に大事な物を見極めて必要な物だけを取り込むことで楽に生きたいと共感が広がっているようだ。必要な物だけを持つミニマリストの思想は、10年頃から流行した整理法「断捨離(だんしゃり)」などにも通じる考え方と言える。
引用:コトバンク
端的にいえば、“ミニマリスト”とは、必要最低限のものしか保有せず、
生活をしていく、という新たなライフスタイルといったところだと思います。
当たり前となった物質的に豊かな現代社会に疑問を呈し、
発想の転換をして、新たな価値観のもとに生きがいや楽しみを見出すということなのだと理解しました。
“ミニマリスト”誕生の背景に迫る。
“ミニマリスト”という言葉自体は、2010年前後から海外で使われ始めたようです。
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2010年前後って何があったでしょうか。
2008年の秋にリーマンショックがあったわけですが、
それに伴う世界的大不況から脱するのに4、5年ほどかかりました。
ということは、リーマンショックの影響を受けた人が、
何が起こるかわからない時代背景の中で、
より身軽にして機動力を確保していたのではないかと思うのです。
不安定な時代だったからこそ、重荷を背負わない。
それで精神を安定させていたように思うのです。
そのような時代背景もあり、
“ミニマリスト”と呼ばれる人々が世界中に溢れかえったのだと分析しました。
また、“ミニマリスト”になっていく過程として、リーマンショックの不景気により、
保有物を売却などを進め、気付いたら保有物が少なくなったということも考えられます。
思いのほか生活できることに手応えを感じ、
どこまで保有物を少なくして生活を成り立たせていけるのか、
というほんの少しの遊び心とチャレンジ精神も手伝った結果の産物とも映りました。
しかし“ミニマリスト”の生き方は僕には合わない。
“ミニマリスト”という生き方...。
少なくとも僕には合わないかなと思うのです。
それはなぜか。
人生を楽しそうに感じさせない“ミニマリスト”の生活に憧れを感じない。
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いろいろな感想があることでしょう。
僕はこのインスタ画像からは、孤独だったり不気味さだったり、
悲壮感みたいなものしか伝わってきません。
幸せになれない負のオーラすら感じるのです。
上のインスタ画像見ていて、ツッコミどころ満載なので列挙してみますと...、
❶ 友達を部屋に招くことができるのか。
❷ カーテン無しで昼寝ができるのか。
❸ 服は何着持ってるのか?スーツや喪服は持ってないのか。
...etc
などなど。
最低限のモノしか持ち合わせない生活も結構ですが、
それが逆に不便さを生じさせ、身軽でなくなってるようにしか思えません。
身軽さを追い求めて“ミニマリスト”になっているのに、逆に生活を窮屈にしている...。
もはや本末転倒とでも言いましょうか。
不自由さは感じてないとしても、それも数ヶ月が限界だと思うのです。
先ほども述べましたが、人生を送る上でライフステージやライフイベントはその都度必ず発生します。
それに応じ、変化に富んだ時期を過ごさなくてはならず、それを回避することはできません。
変化に対応していくためにモノを購入し、
その変化をしのぐのが現実的な対処法の一つとなるでしょう。
であるのなら、少しずつモノが増えていくのはしかるべきなのです。
モノが不要と言い切れる生活を送れる者は、人生において重荷を背負うものがない証だ。
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正直そう思えてなりません。
それはそれで結構なことだと思います。
ストレスなく人生を送れるのであれば、この上ない喜びですから。
視野を広く保ち、選択肢の一つとして持ち併せておけば、
気を紛らわす手段になりえて効果的でしょう。
しかし、人生は変化に富んでいるのです。
必ずその時その時のライフステージやライフイベントが到来し、
その都度モノが必要になってきます。
大人になったら継続的に保有しておかなくてはならないものが増え、
それはもはや必然です。
例えば、❸ が良い例でしょう。
冠婚葬祭にふさわしい礼服は持っていないと社会でやっていけません。
いつ何があるかわかりませんので、持っていないといけないものに分類されます。
親が亡くなった後、位牌はどうするんですかね?
仏壇はどうするのでしょうか。
ありとあらゆる疑問が湧いてきますが、
きっと“ミニマリスト”の方々のほとんどが、
そのライフステージにまだ立っていないと予想します。
いずれそれについて理解する時が来ると確信していますが...、
いかがなものでしょうか。
責任を伴う立場に追いやられていない学生さんであれば、
“ミニマリスト”生活も成り立つのでしょうが、
社会的ステータスを得れば得るほど、
そのような生活はこの日本社会においては成立しないと感じます。
モノを持ちすぎていないということは、
巡り巡って人として信用されないという自体に発展しかねません。
いろいろな立場の人との関わりも無くなり、機会損失も増え、
結果として成功を掴み取る可能性を低めてしまうようにも思いますがいかがでしょうか。
“ミニマリスト”とはモノが買えないことに対しての開き直りではないのか。物欲から逃げてないか。
“ミニマリスト”という生き方も一つの悟りの境地的な生き方で素敵です。
現代を生きる出家僧のようでもあり尊敬に値します。
しかし心の奥底でどこかに、
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という物欲があると思ってしまうのは僕の先入観なのでしょうか。
これがないとするならば、やはり誘惑の多い現代社会を生きる修行僧だともいえます。
そういう意味でも素晴らしい生き方だと賛辞を送る一方で、
こういった考えはできないでしょうか。
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物事にチャレンジすることは何かとお金がかかるものです。
しかしこれがあって初めて人間的に成長していくのではないでしょうか。
成長しようとしないのであれば、それはもはや人間ではない...。
充実した人生を送り、自らを成長させ、そしてその先にあるのは成功だったりもします。
チャレンジをさせてもらえる現代社会を生きている。
その意味合いをたまには考えて欲しいものです。
“ミニマリスト”を極めるいう生き方にチャレンジしているのかもしれませんが、
それの成功って何かがよくわかりません。
せっかく自由の国に生きているのであれば、
大いに活用してダイナミックに生きてほしいと願うのは、
やはり物欲にまみれた時代を生きて抜いてきたオッサンだからでしょうか。
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“ミニマリスト”の人たちが内心でこう考えているとするならば、
それはものすごくダサいと言わざるを得ません。
欲しいモノを掴みにいくチャンスがあるにも関わらず、
努力をすることなくはじめから諦める姿勢だけはとって欲しくない。
少なくとも我が子にはそう教育したいと思っています。
権利や自由をすら与えられていない国が多くある中で、
自由でダイナミックな生き方を認めてもらえている国の恩恵はあやかるべきだと思うのです。
何もあえて不自由を選ぶ必要性がどこにあるのでしょうか。
あなたが共産主義者であるのなら納得もしますが。
今後も彩り豊かな素晴らしい人生を送って行きたいなと思います。
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“ミニマリスト”の生き方も尊重するが、現代社会を堪能することをオススメしたい。
何を好き好んで石器時代のような生き方を選択するのかそもそも理解できない、
これが僕の本音です。
人それぞれ趣向があるのも理解しますが、
時代に逆行してまで生きにくさを露呈しないでもいいと思うのです。
脱炭素社会の到来(僕はこの考え方が大嫌いで反対の考えの立場)で、
無駄なものを削って生活するのが大事という考えも一定の理解は示します。
しかし現代社会であるからこそ送れる人間らしい生活を捨ててしまうのは、
この時代を生きることを放棄しているとも言えるので、
ただただ勿体無いと思うのです。
現代社会における人生の醍醐味を知り、小さくまとまらずダイナミックに生きてほしいものであります。
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