残念無念...。
やはり、東京五輪は、アイキャッチ画像のような、地味〜な大会を作り上げなくてはならないのでしょうか...。
結局、以前このブログ記事に書いた通りの展開に収まっちゃいました...。
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何年も前から、東京五輪を楽しみにしていたFPひろき(@fp_hiroki)にとって、生き甲斐の多くを奪われた感すらあります。
いやっ、別に東京五輪が中止になったというわけではないんですよ。
決してそうではないのですが、FPひろきにとっては楽しみにしていた地元開催の東京五輪は、もはや消化試合の様相を呈してきているのです。
だって、こんな発表がなされたんですもん...。
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FPひろきのみならず、日本国民も心のどこかでどこか諦めの境地にあるのではないでしょうか。
東京五輪の開催縮小化?とんでもない!!!!
近代五輪が拡大の一途を辿り、財政的に逼迫することが課題であることは重々承知しています。
オリンピックの財政課題を解決することが、次代のオリンピック開催に繋がっていくこともオリンピックフリークのFPひろきはわかっています。
でも...。
ピーター・ユベロス氏が、1984年のロス五輪に商業五輪を前面に出してプロデュースした大会は大成功のうちに終わりました。
あれから何十年も経っていますが、
まさにこれが、FPひろきのオリンピックの持論であり熱量なのです。
あのロス五輪の興奮を忘れられず、あの大会で五輪の素晴らしさを覚えたわけなので、価値観はロス五輪がベースのままなのです。
1976年のモントリオール五輪は大赤字でその後のモントリオール市の財政赤字は物凄いことになったと聞きます。
それを反面教師にしたロス五輪が商業五輪を取り入れた経緯があるのです。
今では、五輪商業化の弊害も言われ始めていますが、あの盛大で華やかな五輪という空間は、世界中の人々に大きな夢や希望や感動を与えるのもこれまた事実なのです。
地元開催の五輪でそれを手放さなくてはいけない...。
これを考えるだけで、非常にやりきれない気持ちになるのは、FPひろきだけなのでしょうか。
FPひろきから言わせれば、
やけくそ気味にそうも訴えかけたくもなるってものです。
方針ブレまくり、開催も危ぶまれる東京五輪はどこへ向かうのか..。
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組織委員会から発表されたものは、
「今までのオリンピックにおける課題を解決し、新しい価値観を見出していくような大会にしよう。」
とFPひろきには聞こえるのです。
これ、もはやここに価値観を見出すより仕方がないところまで追い込まれているとも感じ取れたので絶望感しかありません。
FPひろきに言わせれば、地味なオリンピックなんてオリンピックではないです。
それにしてもですよ。
いろいろありすぎて、東京五輪のエンブレム捏造問題は遠い昔の話に感じます。
東日本大震災からの復興五輪はどうなった?
競技施設を23区内で収まる、コンパクト五輪はどうなった?
マラソンコースが札幌?これでは札幌五輪じゃん..。
で、新型コロナウイルスの影響があるとはいえ、開催すらも危ぶまれている...。
もはや理念がブレブレであり、大会運営もダッチロール状態。
東京五輪はどうなってしまうのでしょうか。
東京五輪が霞んでいく...。国民のトーンダウンが気になるところ。
もはや嘆き悲しんでおりますよ。
日本国民の大部分は、
「東京五輪は開催すらできないんじゃないか...?」
そんな声すらも囁かれてますし..。
特に、国民やメディアの多くが、東京五輪開催を半ば諦めムードのトーンになってるのが気掛かりです。
前述したように、中途半端な大会にするぐらいなら、いっそのこと大会を返上してあらためて立候補して欲しいぐらいだと感じるのです。
地元東京五輪は、特に日本選手にとっては一世一代の大舞台。それは彼ら彼女らのためにも、開催して欲しいのはいうまでもありません。
しかし、観る側としてはやはり気持ちが乗らないのが本心です。
なので、それを満たす意味でも、2032年に再度立候補するぐらいの気概を見せて欲しいものであります。
財政難が立ちはだかるのが課題で、それをどうクリアしていくかが問われるのは言うまでもありませんが...。
FPひろきは、閉塞感漂う時代に、常に国家的な夢や目標が欲しいのだと思うのです。はい。
しかし、世界的イベントで国家的目標でもあった東京五輪があもわぬ形で奪われた、と言う被害妄想に陥っているのが正直なところ。
何と言うか、このやるせ無い気持ちをどこにぶつけていいのかわから無い。
そんな状況なのです。
欧米各国が、新型コロナウイルス流行の兆しが見えたにも関わらず、それを隠蔽し対策が遅れた原因を作ったあの国に賠償請求する気持ちもわかります。
また、その国の代弁者になりはててたWHOが、不可解な情報をタレ流し、世界各国を混乱の渦に巻き込んだことに対しても苛立ちを隠せません。
それによって東京五輪も延期になったと言う見方だってできるわけですから...。
これがもし中止ともなってしまえば、これまで投じた巨額のインフラ整備費をどうやって回収するのでしょうか。
それこそ賠償金で充当したくもなるってものです。
FPひろきのため息が止まらないのは、人生においての楽しみの大部分を占めている、4年に一度のスポーツの祭典、それも地元開催の東京五輪が中止の危機に陥っているわけですから、それは無理も無いってものです。
東京五輪が、あの黒歴史とも言われている長野五輪のあの地味な五輪の再来かと思うと、あの時のトラウマが蘇ってきて憂鬱になってきます。
そんな気持ちでいっぱいなのです。
何とか少ない予算のなかでも、最低限、世界中の人に感動を与えるだけのクールでインパクトのある大会にしてくれることを願うばかりです。
さあ、どうなることでしょうか...。
ではでは..。(´・ω・`)