ここ2、3年のことでしょうか。
大企業を中心に、早期退職制度でその要件を満たす退職者を募っているという話題がつきません。
しかもそれは年々増えてきたようにも感じます。
その話題は以前にもブログにも取り上げました。
大企業はベテラン社員削減をなぜ積極的に敢行しているのか。
早期退職を多く募ることで、今後、企業や日本経済にどのような影響を及ぼすのか。
生産性が低いとされる50代のいわゆる“働かないおじさん”の早期退職問題の真相を追求します。
就職氷河期で苦しんだ世代の多くが逃げ切り失敗か。またまた時代の荒波に飲まれる。
いまの45歳から50歳というと、当時バブル経済が弾けた余波をもろに喰らい、就職氷河期に直面した悲惨な世代です。
そういった声も聞こえてきますが、
そんな頼もしい声も聞かれたりします。
あらゆる理不尽に耐え、ここまで生存しただけでも逞しい生命力を誇る。
ロスジェネ世代はさすがです。
その強さこそが彼らの真骨頂であり、経営者はもっと重宝しても良さそうなものですが...。
そんな彼らに次なる危機が...。
彼らはいつだって、置かれた環境下でしっかりと順応していくことでしょう。
早期退職による人員整理が企業に及ぼすリスク。
「同じ生産性であれば、人件費の安い若手の方がいい。会社の未来のためにも。」
このように中高齢社員が半ば追い出されるような扱いを受けるのは、企業経営者の価値観や経営判断が、以前として昭和的人事制度に則ったあり方に染まっているからにほかならないと考えています。
企業は利益を上げ存続をしていくことが社会的使命の最も重要な点であることは否定しません。
それを達成する上でも、間違った経営判断とは思わないという声に対し、一定程度の評価をしています。
しかしそれを全面的に肯定するのはあまりにも短絡的で付け焼刃な経営判断ではないか、と思うのも事実なわけです。
このような人事を見た若手社員はどう思うでしょうか。
きっと自分の未来を見ているかのように感じてる若手社員も少なからずいるはずです。
社業に専念してほしい若手社員が、自社の人事制度に慄き、リスクヘッジを掛けるような働き方をするかもしれません。
今のうちから副業でも頑張っておこう。
いざという時のために資格取得に向けた勉強もする。
投資はマスト。
今の仕事は腰掛けとしか思ってない。
だって、いつ捨てられるかわからないしね...。
本来、目の前の利益のために若手社員に頑張ってもらわなくてはならないはずです。
企業の行く末のためにももっともっと活躍してもらわないといけません。
ところがその若手社員が白けきっている。
無理もありません。
経営陣自らの経営判断で蒔いた種なのですから。
若手を重宝してベテランを蔑ろにするリスクはまさにここにあるのです。
ベテランは去り若手は冒険を冒さない。
それのどこが生産性がある企業といえるのでしょうか。
早期退職によりあぶれた人材が漂流し、日本社会を痛めつけかねない事態に発展する可能性も。
ロスジェネ世代、就職氷河期世代に多いとされるひきこもり。
ロスジェネ世代とは
失われた世代
アメリカでは1990年代に、ドラッグに溺れ略奪や殺人などを繰り返す「新たな失われた世代 (New Lost Generation)」に悩まされ、文字の読み書きを教え、労働へ導くべきだという議論が繰り返された。
一方、日本でも2000年代に入り、一部のメディアを中心にバブル崩壊後の就職氷河期世代に対して「失われた世代 (Lost Generation)」という語が使われるようになったが、アメリカの上記のケースとはニュアンスがかなり異なるため、日本国外で話をするときには十分な説明を要する。労働問題に起因している点は同様であるが、日本国外で"Lost Generation"といえば、殺人強盗集団のような暴力的な青年のイメージがある(日本では必ずしも暴力的な集団を指しているわけではない)。日本の「失われた世代」は概ね団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニアと呼ばれる世代(1971年 (昭和46年) - 1974年 (昭和49年) 生まれ)、(1975年 (昭和50年) - 1981年 (昭和56年) 生まれ)に該当し、アメリカでは「Generation Y」(Millennials) と呼ばれる世代に該当する。
引用:wikipedea
彼らは親の年金を頼りに生活をしている。
しかしその年金受給権を有する親世代もいよいよ寿命が近づいてきました。
そうなれば就職難で就職できなかった彼らはどのように生活をしていくのでしょうか。
最悪、生活保護受給者を多く生み出す結果になるかもしれません。
そうなればそれは国費で賄われるわけで、国家予算を蝕む結果になりかねません。
そこへ同じ世代の早期退職者がやってくる。
多くの人は一時的に非正規雇用社員となって生活をしていくのでしょうが、それはいまを生き抜いているにすぎません。
老後2,000万円問題が叫ばれていますが、彼らの老後を支える余力はもはやこの国には無いと思うのです。
それは彼らの子供世代である若者に、血税という形で大きくのしかかってくることは間違いないでしょう。
留任中に結果を出して去っていけばいい大企業の経営者が自分のことしか考えてこなかったのはその通り。
しかしそれ以上に問題なの歴代政府です。
安易な雇用政策でその場を凌ぎ、問題を先送りにしてきた責任は極めて重いと言わざるを得ません。
定年は45歳である..と覚悟を決めてこそ会社員。そんな時代がやってきた。
良い大学を出て良い会社に入り良い老後を送る...。
昭和から敷かれたそのレールはすでにふるぼけたものになり、そのスキームでは脱線する恐れも出てきました。
新卒一括採用、年功序列、終身雇用そして退職金制度...。
信頼の日本製もさすがに昭和からのものともなれば、修理をしなくてはいけない時期に差し掛かったのです。
修理どころかあらたなイノベーションを生む時代に突入しているわけなので、いつまでも昭和の古き良き幻想を追い続けるわけにもいきません。
雇用の問題点を先延ばしにし、その幻想を未練がましく追い続けてきたからこそここまで痛手が大きくなったのです。
もはや従来型の日本型雇用慣行も無いものと思った方がいいでしょう。
会社員になっても45歳で定年を迎えるものと思っていた方がいいぐらいかもしれません。
若手社員であれば対策は簡単です。
その頃を見据えたキャリアを積んでいけばいいのです。
45歳ぐらいになったら独立しよう。
そのために今勤めている企業で出来るだけノウハウをマスターしておこう。
45歳前に同じ業界にヘッドハンティングされたいな。
そのためには今から頑張って結果を出さなきゃ。
がんばろう!
45歳にはFIREを達成したいな。
そのためにはコツコツ積み立てるようにしないと。
積立額を増やすためにも仕事で結果を出して収入上げないとね。
こんな感じで45歳から第二、第三の人生が歩むことができると考えますと、ワクワクする未来が待ちわびているように感じ、日々の生活にハリが出てくるのではないか。
ここからは私の感覚ですが、やはり人生というものは一度きりであることをもっと重要視するべきだと思うのです。
一生同じ会社に勤めて...というのは確かに立派であるという価値観の人もいるでしょう。
しかしややもすると、それはなんとも味気が無いという見方もできます。
はたまたそれは従来型の価値観であり、ちょっと多様性が無いかな...とも映りがちにも見えます。
45歳からの新たな働き方やキャリアの積み方次第で、更に素晴らしい人生が歩めるのだ。そう広く認知されれば、
と言われないで済むと思うのです。
このレッテル張りを恐れるばかり45歳からの雇用の流動性が阻害されていると感じていました。
人生を謳歌する意味でも、あなたの限られた一度きりの人生を、あらゆる経験を積んで素晴らしいものにして頂きたく思います。
会社員時代に備えておく。それが最善のリストラ対策である。
最後に私の経験も踏まえた上でまとめます。
会社員はある意味で恵まれた立場であるのかもしれません。
その恵まれた立場もいつ追いやられるかわからない...。
今がまさにそのような時代と言えるでしょう。
そんな時代の移り変わりの不安定な世の中において、どうその不安感を克服するか。
それは会社員の時にいかに自己啓発をしていくかが大事になると思うのです。
次のチャレンジをどのタイミングでどのようにしていくのか。
それを会社員として生きていく選択肢とは別に持っておくと、気持ちの上で非常に楽になります。
そう思えるようになるためには、日々の頑張りが大事になってくるでしょう。
私も第二の人生を歩み始めました。
お陰様で毎日ワクワクが止まらず、刺激的で有意義な日々を送れています。
ということでこのへんで。
ではでは。